誰かの居場所になることが、自分の居場所になるかもしれない話

誰かの居場所になることが、自分の居場所になるかもしれない話

 

ある本によれば、居場所がいくつかある状態が生きやすさにつながるそう。

 

深くて濃い繋がりではなくて、ある程度薄くてもいいからいくつか居場所(関係性)があると、どこかでうまくいかなくても他に受け止めてもらえるから、生きやすさにつながるらしい。

 

自殺希少地帯(平均より極端に自殺率が低い地域)では、一つの濃い関係性より、幾つかの薄い関係性を持つことが多いとか。

 

 

高齢者と関わりながら、若者とたくさん関わる。

集まってきてくれる子たちがよく「居場所が欲しい」と話してくれる。居場所が欲しい気持ちは痛いほどよくわかるから、えんがおが幾つかあるうちの一つの居場所になってくれたらいいなあ、と思う。

だから、最近よく「居場所」について考える。

えんがおは、ちゃんと居場所の役割を果たせているだろうか。

 

 

みんなが受け入れてくれたり、歓迎してくれたら、きっとそれは一時的な居場所になって、安心したりする。

 

でも、本当の「居場所」はその先にある気もする。そんなことを、学生から教わった。

 

受け入れてもらって、居場所ができる。

そうすると、感謝をベースにしたいろんな想いがつながって、居場所を求めている人を気にかけて、今度は自分が誰かを支えようとする。

 

自分が誰かの居場所になった。自分も、誰かにとって必要な存在になった。

その感覚が本当の居場所(自分は誰かに必要とされていて、存在価値がちゃんとある)の感覚になるのかもしれない。

 

 

だとしたら。

居場所を求める人が集まる場所がえんがおで、本当の「居場所」とは「誰かの居場所になること」だとしたら。

 

ちゃんとそこまで、一緒に歩いて行きたいと思う。

 

受け入れて終わりじゃなくて、その先まで一緒に歩いて、本当の意味で「自分はここにいていいんだ」と感じてもらえるまで伴走していきたいと思う。

 

自分たちが居場所を与えられるなんてもちろん思ってなくて、だからこそ、そこまで伴走していきたい。

 

高齢者側も若者側も、きっと相性がいいし、きっとそうなりやすいから。

その間にいる自分たちが、精一杯、一緒にそこを目指す。

 

お互いがお互いの居場所になる。そんなつながりが、連鎖がゆっくり作りだせたらいい。

だからこそ、居場所とはなんなのか、今の若者にとって安心できる関係性はどんな関係性なのか、時間をかけて考えていく。

 

その中で発見したことを、想いを乗せて発信していくことで、いつかどこかの

精一杯居場所を探している人にとって、何かのヒントになったら、嬉しい。

 

ブログ、三日坊主にならないように頑張ろう。。。笑